クレーマーのいる世の中
皆さま、こんにちは。
心の旅の案内人 ここたびです🔔
電話で旅行手配などの仕事をしています。
声だけで相手の状況を判断し、内容を確認、
質問、数百もある情報からひとつを選び出し
て提案、説明、情報確認、質問、整理して案内する。
神経どうなっちゃうの~AI 使ったほうが効率的なんじゃないの~?!という仕事をしています。
ルーティーンの仕事というものは似たり寄ったりでしょうけどね😅
先日あったことなのですが、30代くらいの女性のお客様にチケットの手配について質問されました。
「冊子に書いてあって、モーツァルトの…。」
いつの日程ですか?
「いつでも空いていれば」
何の冊子をご覧になっていらっしゃいますか?
「わかりません」
(情報が出てこなそう)お調べしてみますね。
一旦、電話を切って調べてみたけれど、あまりに情報が少なくよくわからない。
再度、電話をして質問しようとすると
「なんでわからないんですか!」
と怒り出し、別の人に変わってくださいと言われてしまいました。
クレームか。
この起こった小さい事件にはいろいろ考えられることがあるのですね。
★オペレーター(私)
質問の投げ方、知識の量、理解度合い、説明の方法
★お客様
質問の仕方、論理立てた話し方、情報の整理とアウトプット
これらがうまく噛み合わないと、どんどんドツボにはまり身動きとれず、結果怒りを誘発してしまいます。
結局別の人に変わって後から聞いたところ
「え?それが聞きたかったの?」
あの話からじゃ全くわからなかったというものでした。
どうしてコミュニケーションはこうもズレが起こるのでしょうか。
どちらが悪いということでなく、自身の経験などから勝手に判断して、答えを出そうとしてしまう。
私からしたら、
チケットの手配はできるのか?と言われればすぐにピンと来て、手配について伝えることができるのですが、冊子、モーツァルトときたら、その冊子に書いてあることは何なのか見なくては話ができないのです。
(脳で処理できる範囲の限界)
お客様としたら、
モーツァルトの演劇観たいな。サービスデスクの人は何でも知っている。私が見ているものが向こうにわからないわけがない。
(思い込み)
これを言語化して、音波を通して、見たこともない、知らない人に伝えようとしている。
どんなに頑張って伝えようとしても限界があるということなのですね。
だからクレームは一方的なごめんなさいの謝罪で終わるのではなく、「こんがらがっちゃったね。ほどいていこう」という話し合いになれば、いい気分で終わるのに、どちらかを正当化させて終わるのは、せっかくの出会いが生かされなくて勿体ないなと思うのです。
クレーマーはお店をよくしてくれるために言ってくれてる、お客様は神様だとかありますが、その概念なくしましょうよ。
俺はこれだけ払ってるんだからそのサービス受けて当然だ~も横暴でしょ。
上下でなく、もっと冷静に双方向でとことん話し合って
「わたしはここに囚われていたのか」とか
「こちらもここを勘違いしてました」とか
話し合って融合していく道が必要。
これまである慣例を変えていかないと、本当にAIに仕事乗っ取られますよ。
というか、乗っ取られないにしてもこのような人間の尊厳をお互いに潰して仕方なく生きる社会になったら、どうしたって社会が衰退してしまう。
ひとりひとりがどうやっていい社会にしていくのか、本当に考えなければ未来のない世の中になってきました。
他人事では済まされない、どんな人でも社会に目を向けるいい時代になってきましたね😉