社会は変わらないという思い込み
皆さんこんにちは。
心の旅の案内人 ここたびです。
昨日は、永田町にあるGRIDという、今はやりのCo-Workingスペースで映画を見てきました。タイトルは「幸せの経済学」という映画で、ネパールのラダックに近代化の波が押し寄せてきました。西洋の文化がこれまでの伝統的なライフスタイルを奪い、人とのつながりを希薄にしてしまったというもの。これはラダックだけでなく、日本もアジアの国々もあてはまります。個人の成功を夢見て、個々に分離されて、メディアでは理想の暮らしが繰り広げられ、それと比較して落ち込む。私たちは貧しいと。落ち込みたくないから、そうならないように消費・消費・消費!でも心はどんどんすさんでいく。幸せから遠ざかっている現代とこれからどう向き合っていけばいいのか。とてもいい意味で考えさせられる映画でした。
それにしても社会に対して真剣に向き合う人の多いこと。
映画上映の後に懇親会という名のディスカッションがあったのですが、下は大学生から上は50代くらいまで、様々な意見を通して、真剣に社会の問題と向き合ってる人が多いことに驚きました。私も昔は社会を変えるって思っていて、青年海外協力隊に応募しようとしたけれど、何も持っているものがないからあきらめたり、ボランティアをして、世の中をよりよくしたいという思いを持っていたことを思い出しました。その後、一人でできることは限られていて、変えることはほぼ不可能、政治家になれば変えられるかもしれないけど、自己否定まみれだった私がそんなことできる術もなかったし、到底ひとりがどうにかしようとしても何もできないことに気づきます。政治家になったとしてもアフリカの食糧問題はどうしようもないとあきらめに変わりました。
でも認識技術を通して、あきらめが希望に変わりました。世界の戦争はなくせるという確信はあるし、この技術を学ぶなかでできた仲間たち、これから学ぶであろう人たち、社会をよりよくしたいという志のある人たちと一緒であれば、変えていけると思ったのです。それには、観点の問題を深く理解することが大前提。個々の無限のパワーを発揮してチームプレイをしていけるようになるには、それが大事なのですね。
GRIDはこの永田町(政治家、官公庁が集まる場所)にあるからこそ意味があるのかもしれません。そこから発信するって、変革のイメージがぴったりです。
「新たな社会を構想する人がつながり、ビジョンや活動を共有するコミュニティ」というように、このような場所は近年求められているし、多くの場所で愛されるコミュニティになるのでしょう。
昨夜は、いろんな方々とフラットにつながれて、共生できるイメージが深まりました。
面白い仕組みなので、皆さんの街で立ち上げてみてはいかがでしょうか。
既に中目黒、表参道、福井にあるみたいですね。
※最後に撮ったのでがらんとしちゃいました(^^;
クレーマーのいる世の中
皆さま、こんにちは。
心の旅の案内人 ここたびです🔔
電話で旅行手配などの仕事をしています。
声だけで相手の状況を判断し、内容を確認、
質問、数百もある情報からひとつを選び出し
て提案、説明、情報確認、質問、整理して案内する。
神経どうなっちゃうの~AI 使ったほうが効率的なんじゃないの~?!という仕事をしています。
ルーティーンの仕事というものは似たり寄ったりでしょうけどね😅
先日あったことなのですが、30代くらいの女性のお客様にチケットの手配について質問されました。
「冊子に書いてあって、モーツァルトの…。」
いつの日程ですか?
「いつでも空いていれば」
何の冊子をご覧になっていらっしゃいますか?
「わかりません」
(情報が出てこなそう)お調べしてみますね。
一旦、電話を切って調べてみたけれど、あまりに情報が少なくよくわからない。
再度、電話をして質問しようとすると
「なんでわからないんですか!」
と怒り出し、別の人に変わってくださいと言われてしまいました。
クレームか。
この起こった小さい事件にはいろいろ考えられることがあるのですね。
★オペレーター(私)
質問の投げ方、知識の量、理解度合い、説明の方法
★お客様
質問の仕方、論理立てた話し方、情報の整理とアウトプット
これらがうまく噛み合わないと、どんどんドツボにはまり身動きとれず、結果怒りを誘発してしまいます。
結局別の人に変わって後から聞いたところ
「え?それが聞きたかったの?」
あの話からじゃ全くわからなかったというものでした。
どうしてコミュニケーションはこうもズレが起こるのでしょうか。
どちらが悪いということでなく、自身の経験などから勝手に判断して、答えを出そうとしてしまう。
私からしたら、
チケットの手配はできるのか?と言われればすぐにピンと来て、手配について伝えることができるのですが、冊子、モーツァルトときたら、その冊子に書いてあることは何なのか見なくては話ができないのです。
(脳で処理できる範囲の限界)
お客様としたら、
モーツァルトの演劇観たいな。サービスデスクの人は何でも知っている。私が見ているものが向こうにわからないわけがない。
(思い込み)
これを言語化して、音波を通して、見たこともない、知らない人に伝えようとしている。
どんなに頑張って伝えようとしても限界があるということなのですね。
だからクレームは一方的なごめんなさいの謝罪で終わるのではなく、「こんがらがっちゃったね。ほどいていこう」という話し合いになれば、いい気分で終わるのに、どちらかを正当化させて終わるのは、せっかくの出会いが生かされなくて勿体ないなと思うのです。
クレーマーはお店をよくしてくれるために言ってくれてる、お客様は神様だとかありますが、その概念なくしましょうよ。
俺はこれだけ払ってるんだからそのサービス受けて当然だ~も横暴でしょ。
上下でなく、もっと冷静に双方向でとことん話し合って
「わたしはここに囚われていたのか」とか
「こちらもここを勘違いしてました」とか
話し合って融合していく道が必要。
これまである慣例を変えていかないと、本当にAIに仕事乗っ取られますよ。
というか、乗っ取られないにしてもこのような人間の尊厳をお互いに潰して仕方なく生きる社会になったら、どうしたって社会が衰退してしまう。
ひとりひとりがどうやっていい社会にしていくのか、本当に考えなければ未来のない世の中になってきました。
他人事では済まされない、どんな人でも社会に目を向けるいい時代になってきましたね😉
人間関係がうまくいかない
皆さんこんばんは!
心の旅の案内人 ここたびです。
この世の中で一番難しいのって人間関係じゃないでしょうか。
どんなに交友関係が広い人でも、その悩みで困ることはあると思います。
今は嫌だなぁと思う人はほとんどいないと
豪語できるほどになりましたが、
以前は嫌いな人と同じシフトに入るだけで前の日から憂鬱になりました。
入ったら入ったでぎくしゃくしながら
仕事しなくてはいけないし、意思疎通も
したくないし、されたくない。
まぁ、今から思えば頑固でしたね(^^;
数十年前になりますが、新卒で入社したとき
にいた当時のひとつ上の先輩がまったく仕事
をしない人。こんなに私たちが一生懸命
働いているのに椅子に座って「ふふーん」
と余裕でぼーっとしてる。
それを見た私は同僚に対して、涙を流しながら「あいつ~」とかいいながら、憎んでいたのを思い出しました(笑)
どうして今は人間関係が楽だと思えるほどになったのか。
嫌いと思えるそこには何かがある。
ほかの人から見たら愛おしい彼氏かもしれません。
最愛の息子かもしれません。
だから、そこには嫌いな人は、いないんですよね。
私が嫌いと思う私に要因がある。
自分の中をみるって、最近よく言われていることかもしれませんが、しっかりとそこを
認識したらよいのかなと思います。
そして、人間関係を仕組みで整理することが大事なんですね。
私の中には仕事をきちんとしなければ
ならない、言われたことはやらなければ
ならないという観念がありました。
この強固な思い込み(いいも悪いも思いこみ)
が人間関係をこじれさせ、せっかくの
つながりをまざまざと切り捨ててしまう。
本来ならつながれる相手だったかもしれない
のに、もったいない出会い方をしていたな
と思います。
「普通はこう!」常識と言われることほど
見直したらいいですね。
もちろん人間関係は一筋縄ではいきません
よね。近い間柄であればなおさら。
伝えられることもあれば、伝えられないこと
も、つながれないこともある。
それでもつながりを共有したときは一番の
喜びであり、パワーになります。
嫌だ嫌だと言っていても、人間である以上、切っても切れないのが人間関係。
ずっとついて回りますね。
すべての人がハイタッチでつながれる日を目指して( ´∀`)人(´∀` )
おやすみなさい☆